エルコルテス・ホテルが国家歴史登録財に、BJルールも良心的

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 大多数の日本人観光客は、ゴージャスな大型カジノホテルが建ち並ぶストリップ地区に宿泊し、ダウンタウン地区へ行くことはあまりない。

 行ったとしても電飾アーケード「フリーモント・エクスペリエンス」(写真)を見る程度で、滞在時間はせいぜい1時間か2時間。
 しかしダウンタウンにはけっこう面白い穴場があったりする。先週に続き今週も、この地区の話題を紹介してみたい。

 今回取り上げるのは 1941年開業の老舗カジノホテル「エル・コルテス」(写真下)。
 創業年だけで比較すると、先週紹介したゴールデンゲート・ホテル(1906年創業)のほうがはるかに古いが、このたびエル・コルテスは国家歴史登録財National Register of Historic Places)にノミネートされたというから、こちらも負けてはいない。日本でいえば重要文化財といったところか。

 すでに廃業したホテルなどが史跡として登録保存されるケースはあるものの、営業中のカジノホテルが登録されるのは極めて異例らしい。(実際には、まだネバダ州から国に申請されることになっただけで、正式に登録が決定したわけではない。が、ほぼ決定と見られている)

 数ある老舗ホテルの中からこのエル・コルテスが選ばれた理由は、創業時のままの状態がきちんと維持されているからとのこと。
 つまり、他のホテルはいくら歴史が長くても、創業時の建物は建て替えられ姿を消してしまっているというわけだ。ただ、実際にはこのエル・コルテスの場合も、この写真のレンガ色の高層建造物は 1980年に増築された「タワー棟」で、これが今回ノミネートされたわけではない。

 70年も前から姿を変えることなく存在し続けているのは、カジノフロアと、その上に造られた客室などで構成される建物。(この写真の白い壁の建物。70年というと短いように思われるかもしれないが、ラスベガス自体の歴史が 100年程度しかない)
 昔ながらのネオンサインとの調和がなんとも絶妙で、古めかしい情緒あふれるその様相は、ストリップ地区の近代的なホテルではあり得ない温かさと、歴史が染み付いたオーラを放っている。
 そして遠い昔に思いを馳せながらその姿を眺めていると、映画に出てくるような怪しげなラスベガスも脳裏に浮かんでくるからおもしろい。ちなみに下の写真が当時の様子。上の写真と並べてみるとわかるが、ものの見事にそのままの状態が保存されていることが見て取れる。

 ちなみに当時といえば、開業直後、このホテルの盛況を知った男たちが創業者から強引に買い取り、そしてカジノ経営の味をしめた彼らは、さらなるカジノホテルの建設を企てることになり、結果的にこのエル・コルテスは、ストリップ地区が形成されるきっかけとなったホテルとしても知られている。
 このホテルを買い取った男たちの中の一人こそ、のちにストリップ地区に大型カジノホテル・フラミンゴを建設したバグジー・シーゲルだ。
 そのようなわけで、このエル・コルテスは、ただ単に建造物の保存状態というハード的な観点だけでなく、ラスベガスの歴史というソフト的な意味においても非常に重要な文化財なのである

 余談になるが、この「国家歴史登録財」は、不人気の「世界遺産」World Heritage Site)とは異なり、アメリカ人にとっては一目置かれているのか、けっこう注目され、人気の観光スポットになりやすい。
 記憶に新しいところでは、1959年に建てられ今でもそのまま現存している「Welcome to Fabulous Las Vegas」の看板だ(上の写真が現在、下が当時)。
 数年前までは駐車場もなく、わざわざ立ち寄って記念撮影をする人などほとんどいなかったが、2009年に国家歴史登録財に指定されてから訪問者が激増し、今では駐車場の増設が計画されるほど多くの観光客で賑わっている。

 一方、意外なことに「世界遺産」はアメリカではまったく人気がない。世界遺産に指定された場所が不人気ということではなく、言葉自体が一般的にあまり知られていないという意味だ。
 ためしに日本語版のウィキペディアで、アメリカを代表する世界遺産「グランドキャニオン」のページを開くと、いきなり世界遺産の文字を見ることができるが、英語版における Grand Canyon のページには、World Heritage という文字は一度も出てこない。

 ウィキペディアに特に権威があるわけではないので、念のためアメリカ政府が運営するグランドキャニオン国立公園の公式サイト www.nps.gov/grca を閲覧してみたところ、やはり結果は同じ。(イエローストーン国立公園など、他の世界遺産のページにおいては World Heritage の文字が見られる場合もある)

 知床、屋久島、石見銀山などの頭には黙っていても枕詞のごとく「世界遺産」を付ける日本では考えられないことだが、それほどまでにアメリカがこの言葉を軽視している理由としては、世界遺産を取り仕切るユネスコに対して、アメリカは長らく政治的にも予算的にも敵対する立場を取り続け、1984年のレーガン政権の時に脱退し、近年やっと再加盟したといういきさつがある。
 復帰した今でも、昨年パレスチナの加盟に対して大反対するなど、アメリカは基本的にユネスコが大嫌いだ
 そうなると、何ごとにおいても自国で仕切るのが好きなアメリカにとって、フランスのパリに本拠を置くユネスコが世界遺産を取り仕切っていること自体がおもしろくないのか、メディアもあまり取り上げることがなく、結果的に一般市民も無関心になってしまいがちだ。

 ユネスコの予算の多くを拠出している日本の世界遺産好きが異常なのか、アメリカの無関心ぶりが異常なのかはなんともいえないが、いずれにせよ、一般のアメリカ市民が世界遺産よりも国立公園国家歴史登録財に興味を示す傾向にあることは事実で、日本人が考えている以上に、今回のエルコルテスのノミネートは意義深いといってよいだろう。(この写真は、昔ながらの雰囲気を残す店で賑わう「フリーモント・イースト」からエル・コルテス方向を見たところ。白いネオンサインがエル・コルテスのもの)

 なお、国家歴史登録財の数は膨大であり(毎年、万の単位で申請)、個々においては無名のものがほとんど。行く前からだれもが知る国立公園に比べ、知名度的には圧倒的に劣ることになるが、旅先における地図や推奨スポットなどのローカル情報を頼りに訪問先を決める旅人も多く、登録後は訪問者が急増し人気の観光スポットになりやすい
 今回の登録がエル・コルテスにとって、かなりのプラス要因に働くことは間違い無いだろう。

 さて話は変わり、このホテルには国家歴史登録財とはまったく別に、知る人ぞ知る注目のポイントがある。ブラックジャックのルールだ。(この写真はその宣伝。背景の建物はエル・コルテスではない)

 数年前までならいざ知らず、近年ではすっかり珍しくなった「1デック、BJ 1.5倍」の良心的なルールが今でもしっかり残っている。
 それも客寄せ用に1台だけ開帳しているというわけではなく、全8台のブラック・ジャックテーブルのうちの、なんと6台がこのシングルデック台で、残りの2台もダブルデックだ。
 「ダブルダウンは 10 または 11 のときのみ」といった他のカジノで見られがちな不利な条件設定もなく、9 や 8 はもちろんのことソフトハンドでもダブルダウンが可能で、またスプリット後の再スプリットもできる。さらにダブルデックの台ではスプリット後のダブルダウンも可能。

 「そんなうまい話が今どきあるのか?」と思われるかもしれないが、すべて本当の話で、それがゆえに、ラスベガスで最大の発行部数を誇る日刊紙「ラスベガス・リビュージャーナル」が、その読者や記者によって毎年選出する「ザ・ベスト・オブ・ラスベガス賞」(ブラックジャック部門)に、2009年から連続4年選ばれている。
 上の写真からもわかるとおり、スロットマシンやキノの部門でも受賞しており、何年も前から地元民やカジノファンの間では、最も良心的なルール設定のカジノとして知られている。

 最低賭金の設定も良心的で 5ドルからプレー可能(時間帯によっては 3ドルの場合も)。最大賭金は 500ドルまでで、驚くことに、カードの条件が良い時にだけ参加するミッドエントリー(次のシャッフルを待たずに途中から参加すること。ワンデックの場合、通常これは許されていない)も許されているため、注意されたり、すぐにシャッフルされるかは別にして、カードカウンターにとっては 100倍の賭金の強弱が可能な好条件のブラックジャックということができる。
(「カードカウンター」に関しては、このサイトのカジノセクションのブラックジャックの項、もしくは、2008年公開の映画「ラスベガスをぶっつぶせ」などを見ると理解しやすい)

 こんな出血大サービスのルール設定で経営が成り立つのかと心配になってしまうが、このルールはエル・コルテスの伝統であり、経営状態も特に悪くはないと聞く。
 せっかくなので、ブラックジャック・ファンはぜひ泊まってじっくりプレーしてみるとよいだろう。(写真はタワー棟のレギュラールーム内の様子)
 平日の宿泊料金は 35ドル前後と格安で、さらにありがたいことにリゾートフィー(バックナンバー 807号で特集)がない。なおネットの接続料金は 24時間 11.99ドル。
 客室、特にバスルームはかなり老朽化しており、お世辞にもきれいとはいえないが、タンス、デスク、テーブルなどのレトロ調の家具がいい雰囲気を醸し出しているばかりか、純白のリネン類も古いながらも清潔感があり好感が持てる。値段を考えると十分すぎるほどのレベルにあるといってよいだろう。

 最後に、このホテルまで行ったら、ぜひ会っておきたい人物がいる。今は現役を退き経営には参加していないが、1963年からエル・コルテスのオーナーになり、現在もこのホテル内のペントハウスに住み続けているジャッキー・ゴーハン氏だ。(写真は、カジノフロアから彼の秘書室などに通じる有名ならせん階段)

 バグジー・シーゲルやマイヤー・ランスキーなど、裏社会の超大物たちを直接知る「ラスベガスの歴史の生き証人」ともいえるこの大長老は今月 92歳。
 かつてはエル・コルテス以外にも、ユニオンプラザ、ゴールデンナゲット、ラスベガスクラブ、ゴールドスパイクなど、現在ダウンタウン地区にある多くのカジノホテルの運営に携わり、またスロットマシンやスポーツブックの研究家としても知られるゴーハン氏は、今でもほぼ毎日カジノフロアに降りてきてギャンブルを楽しんでいる。
 もちろん自分のホテルを相手にブラックジャックやルーレットをやるわけにもいかないので、プレーするのはもっぱらポーカー。マフィアの世界も知り尽くしたほどの大物が、少額の賭金で近所の仲間と楽しむその姿はなんとも微笑ましい。

 体の調子が悪くない限り朝から晩までプレーしているはずなので、ポーカーセクションを覗いてみればきっと会えるはずだ。また食事休憩は多くの場合、館内のレストランなので、本当に身近な場所で遭遇できる可能性も高い。
 ただ、非常にシャイなので、よほど気が向かない限り写真を一緒に撮ってもらうことはできない。

 広報部に申し込んでも、「もう引退している身分なので、そっとしてあげてほしい」 と取材も原則として受け付けてもらえないが、上記のらせん階段で「エグゼクティブルーム」へ行くと、おびただしい数の過去の写真が目に飛び込んでくる。
 国家歴史登録財にノミネートされるだけの由緒あるカジノであることを改めて感じる一瞬だ (アポイントがないと部屋に入れてもらえない場合もある)。

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