当地ラスベガスは周辺環境が砂漠ということもあり、夏期の猛烈な暑さは多くの人が知るところ。それでもここ数日はすっかり気温が下がり晩秋の様相を呈している。
とはいえ日本のような美しい紅葉の景色に遭遇することはなく、先月のハロウィンの装飾などはともかく視覚的に秋を体感できる場面は非常に少ない。
そもそもヤシの木はあっても広葉樹などは高い山に登らなければ存在しないので秋らしい光景を期待すること自体が無理というもの。
そういう意味では四季を感じづらい都市といえるわけだが、その一方で日本人の季節感にも疑問がわいてきたので今週は「日本は四季が豊か」という固定観念に一石を投じてみたい。
なお日本といっても北海道から沖縄まで広いので、以下では東京やその周辺地域、つまり首都圏という前提で話を進めることとする。
日本はむしろ四季の変化が少ない
外国人から「日本の特徴や素晴らしいところは何か?」と問われたら、「豊かな四季」と答える人が少なくないのでは。はたしてそれは正しいのか。
たしかに日本の四季や自然は美しい。しかし客観的に見て日本だけが諸外国と比べて四季が豊かなのかというと、そうとも思えないのである。
東南アジア諸国などと比べるとたしかに豊かではあるが、欧米諸国と比較するならばむしろ四季の変化は少ないと言わざるをえない。
気温と日照時間の季節変化
この議論を進める前に季節感を決める要素は何なのかを定義づける必要があるが、一般的な感覚としては「気温の変化」と「日照時間の変化」といってよいだろう。
もちろん野山の風景、食材、祭事、風物詩などからも季節感を得られるが、気温と日照時間の変化が四季を生み出す決定的な要素であることに異論はないはずだ。
多くの都市が東京よりも寒い
まず気温に関してだが、アメリカの3大都市、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスで比較してみると、少なくともロサンゼルス以外の冬は東京よりもはるかに寒い。
当地ラスベガスも温暖なロサンゼルスに近いにもかかわらず、冬期の早朝の最低気温が氷点下になることはしばしばで、過去のラスベガスの最低気温記録は驚くことなかれ氷点下13度(1963年1月13日)というから東京ではあり得ない寒さだ。
温暖なスペインも東京より寒い
その他の欧米諸国の主要都市、たとえばベルリン、パリ、ミラノ、アムステルダムなどの冬も総じて東京よりも寒く、北欧、ロシア、カナダなどの寒さに至っては論をまたない。
かろうじてロンドンが東京とほぼ同じ程度の寒さだが、意外なのは温暖なイメージがあるスペインで、その首都マドリードは内陸にあるためか冬期の平均最低気温は東京よりも低い。
アジアに目を向けてみてもソウルや北京の冬は厳しく毎年のように氷点下10度以下を記録している。
主要都市の夏はどこも30度超え
夏はどうか。連日40度を超えるラスベガスはいうまでもなく、ソウル、北京の夏も東京並みに猛暑。
ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスも東京よりはやや低いものの夏期の最高気温が30度以上になるのはごく普通のことで、ヨーロッパの主要都市でも 30度超えは珍しいことではない。
参考までにこれは極端な地域の話ではあるが、ロシアのベルホヤンスクやオイミャコンでは冬期にマイナス60度以下になることがある一方で、夏期には30度以上も記録する。
以上のように考えると季節による気温差という意味では日本だけが突出して四季が豊かというわけではないことがわかってくる。
「日本は四季が豊か」はフェイク情報
では「日の長さの変化」はどうか。これはもう完全に日本は負けている。つまり世界的に見て日本は四季の変化が非常に少ない。理由は東南アジア諸国を除く主要都市の中では突出して赤道に近い位置にあるからだ。
「えっ? 東京だって冬は日が短く夏は日が長いではないか!」って思っている者は世界地図をじっくり見たほうがよい。
ここまでに列挙してきた都市の中でロサンゼルスを除けばすべての都市が東京よりも高緯度、つまり北緯35.7度よりも北にあり、季節による日の長さの変化は半端ではない。
24時間太陽が沈まない白夜がある北欧は言うに及ばず、ロンドン、ベルリン、アムステルダムなどでも日照時間の季節変化はすさまじく、これらの都市の冬期は出勤時間になっても夜が明けない一方で、夏期は寝る時間になっても外が明るい。
ついでに列挙するならば、シアトル、サンフランシスコなど北米の多くの主要都市、さらに意外にも南方のイメージがあるローマ、アテネ、イスタンブールでさえ東京よりも高緯度に位置しており、日の出や日没の時刻は季節によって大きく変化する。
そのような環境で暮らしている人たちが四季を感じていないわけがなく、彼らに向かって「日本の特徴は四季が豊かなことです」などと言っては笑われてしまうかフェイク情報を拡散することになりかねない。
もちろん四季があること自体は疑いのない事実ではあるが、日本固有の特徴という認識は改める必要がある。
それでも日本では四季を強く感じる
というわけで気候や地理的な要因だけで比較すると日本の四季は特筆に値しないことがわかるが、不思議なことに日本にいると四季を強く感じたりするのも事実。
夏期の連日の40度超え、さらに冬期の氷点下を毎年のように体験していても、たまに故郷の日本へ帰るとなぜかラスベガスよりも季節を感じる。
そう感じてしまう要因が気温や日照時間ではないとするならばそれは何なのか。夏の湿気や冬の乾燥など、湿度や降水量の季節変化が他国よりも大きいのかとも考えてみたが、気象データを調べてみる限りでは日本だけに見られる季節変化ではなさそうだ。
自然環境、風物詩、食文化の影響か
すぐに思いつくのが自然環境説。新緑、桜、梅雨、セミの声、紅葉、雪山などによる季節感だ。
また、正月、節分、鯉のぼり、七夕、月見、運動会といった祭事やイベントなど風物詩の存在も無視できないのかもしれない。
さらに餅、おせち、七草粥、かしわ餅、そうめん、かき氷、鍋もの、焼き芋、といった食文化の影響もあったりするのか。
アメリカでも自然は豊か
しかしよく考えてみると自然、風物詩、食文化、どれを取ってもアメリカにもあるので説得力に欠けるように思えてくる。
たとえばイエローストーン、ヨセミテ、ザイオン、グランドキャニオンなどの国立公園はかなり高いレベルできちんと管理されており、日本の国立公園に勝るとも劣らないレベルで美しい。
木々が少ないグランドキャニオンはともかくその他の国立公園では新緑も紅葉も見られ、さらに季節に応じた野生動物との遭遇もあったりする。
アメリカにもたくさんの風物詩
ハロウィン、サンクスギビング、クリスマス、イースター、独立記念日の花火大会など季節のイベントにもこと欠かない。
さらにアメフトのスーパーボウル、野球のワールドシリーズ、ゴルフのマスターズなどのスポーツイベントも風物詩的な存在として定着しており、それらは季節感とは不可分といってよいだろう。
さすがに食文化では日本に負けているが、サンクスギビングの七面鳥など季節を感じさせる食べ物がまったくないわけではない。
東京では何もしなくても四季感が
さぁ困った。このままでは日本で四季を強く感じる要因が見つからない。
はやり自然環境説か。アメリカの大自然エリアは生活圏から遠く離れているため日々の暮らしの中でそれら自然に遭遇しにくいからではないか、といった勝手な推論もできないわけではないが、日本でも(特に首都圏では)あえて景勝地などを訪れない限り日々の生活の中で自然に接することはほとんどない。それでも都会にいても日本では四季を感じたりする。
また祭事などがない時期でも、そして餅、おせち、七草粥などを食べなくても四季を感じる。実に不思議だ。
原因は住環境や街づくりの違いか
そろそろ結論を書かなければならないが、残念ながらわからない。
そこであえて日本ではなくアメリカ側から考えてみた。なぜアメリカでは東京以上に気温や日照時間の季節変化が大きいのに四季を感じにくいのか、と。
そこから導き出された推論は説得力に欠けるかもしれないが、住環境や街づくりの違いにあるのではないか。
日本の住宅の多くは 24時間セントラルヒーティングではないので外出しなくても夏の暑さや冬の寒さをいやでも感じてしまう。つまり冷暖房のスイッチを入れるまでは暑さ寒さを避けて通れない。
また何台もエアコンを設置している家でもトイレや浴室の脱衣所などには設置していないことがほとんどなので、冬の夜、寒さの中を意を決して布団から出でトイレに行ったり、逆に猛暑の時期に汗を流しなが用を足したりした記憶がある人は多いのではないか。まさに四季を感じさせられる場面だろう。
一方アメリカではトイレや浴室も含めてすべての部屋が天井からの空調の心地よい風で一年を通じて季節感がない。
木枯らしのバス停、汗だくの満員電車
通勤や通学の事情も日米で大きく異なっていると言わざるをえない。日本でも地方都市では車社会が定着しているが、首都圏では電車バスを利用するのが一般的だ。
その結果、バス停で冷たい木枯らしに震えながらバスを待ったり、汗だくで満員電車に乗ったり、豪雨でびしょ濡れになっての帰宅など季節を感じさせられる場面が少なくない。
一方アメリカの多くの都市では車社会のため自宅の玄関から目的地まで雨に濡れることもなく四季を通じて快適に移動できる。
日本人の本能や言語に理由があるのか
以上のように勝手な推測で四季を感じやすい理由をあれこれ考えてみたわけだが、もちろんそれらが本当の理由とは思っていない。ひょっとすると日本には未知の何かがあるのかもしれない。
たとえば農耕民族であるがゆえに脳内の構造が本能的に季節を感じやすくなっているとか、文学的な表現が豊かな日本語という言語に要因があるとか。
いずれにせよ結論が出ないままこれ以上書き続けても時間の無駄なので、読者からの新しい説や発想などを以下のコメント欄に書き込んでもらえることを期待しながら今週の記事を終わりとしたい。特にヨーロッパなど外国に住んだ経験のある読者からの現地での季節感などを聞ければ幸いだ。
コメント(7件)
日本は四季があるから良いという話はよく聞くけれど、
昔から「井の中の蛙大海を知らず」だなと思っていました。
まあ、暑いか・すごく暑いかしかない東南アジアなどの国に比べれば
そうなんですけれど。
補足ですが、Nikkei Asiaの記事によると、2019年にパスポートを持ってる日本人はたった23%。日本人の大半が日本から出たことがないので外国のことはテレビを通じてしか知らない。なので、日本は四季があるからいいとテレビで言われたことを鵜呑みにしてるのではないでしょうか。
欧米の人たち(人種)は寒い冬でも半袖で居たりして、皮膚感覚が少々日本人とは異なっている。このことが季節を感じる感覚が鈍いことに繋がっていると考えられないだろうか?また、特に秋の紅葉などは日本は黄色、橙色、赤色等欧米に比べて色彩に富んでいるように思う。日本の季節ごとの気温が比較的緩やかに移ろうことが、前述の色合いが混在する確率が高いことに繋がっているのではないかと思う。
サンフランシスコ郊外に住んでいます。この界隈に関して言うと、年間通して気温がほぼ変わらないので、あまり季節感は感じませんね。
ひとつ思うのは、食文化が年間通してほとんど変わらないことでしょうか。日本だとスーパーや八百屋の店先には、季節の野菜や果物が並んで季節を感じることがありますが、そういうものが極めて少ないように思います。逆を言えば、一年中なんでも手に入るのかもしれませんが。
「日本は四季が豊か」っていうのは、常夏や極寒の国と較べてっていう慣用句ですよ。
アメリカなど(多少なりとも季節感のある国)と較べてるのではないと思います。
良い意味で使う事もあるけど、マイナスな意味(常夏に較べたら寒いとか、服がたくさん必要とか、湿気が多すぎるとか)に対して、四季があるからそれを感じられるっていうある種の救い的な比喩かと。
なので、今回の比較にはあまり意味が無い様な。
湿気の無い西海岸やその周辺都市の過ごしやすさは、ベガスリピーターなら十分すぎる位解っていますよ。
農耕民族からくるものが強い気がします。
つまり、食べ物ですね。
スーパーでは、入り口直ぐに野菜・フルーツコーナーがあります。季節ごとに陳列が変わるので季節を感じやすいですね。
特に夏から秋は色々なフルーツが順番に主役になる。さくらんぼが終わりすいかが並ぶと夏が始まり、梨・桃・葡萄、そして柿を見ると秋。そのうちみかんが主役になり、気づくと苺とりんごで年が変わっていく。
食べ物にも四季感ありますね。
春の筍、夏のそうめん、秋の栗、冬の鍋はそれぞれ季節の代表ではないでしょうか。
あくまでも私の感覚です。
アメリカにも6-7年住んでいました。
個人的にはパッと思いつく理由は、文化の差かと感じます。
特に西洋文化では夏や冬といった厳しい気候は乗り越えるものであり、楽しむものと捉えることが少ないように思えます。例に挙げていた季節の風物詩も、スポーツなどは季節を楽しむというよりは、その時期に行なっている紅白歌合戦のようなものかと。
両国に住んでみて、日本の方が夏は浴衣を着てお祭りに行く、〇〇の秋、お正月の遊びなど、季節の変化を楽しむ方向で捉える文化が強く、そのため各季節を楽しく過ごす=季節感が豊かとなるのではないでしょうか?