ここ数年、クレジットカード決済はもちろんのこと、電子マネーやQRコード決済など、多くの国においてキャッシュレス化がどんどん進んでいる。
もちろんアメリカも例外ではなく、当地ラスベガスでも一般生活においては現金を持ち合わせていなくても特に不便を感じることはない。
それでもカジノに行くと、まだまだキャッシュ文化が残っていたりするのが現在のラスベガスの実情だ。
ルーレットでもブラックジャックでもプレー開始時は現金での換金が一般的だし、勝った際もドル紙幣で払い戻されるのが普通なので、当然のことかもしれない。
このたびそんなキャッシュ文化が根強く残るカジノでたまたまドル紙幣を手にする機会があったわけだが、その裁断ズレのあまりのひどさに愕然とした。

新100ドル紙幣。1番下の1枚は裁断ズレが激しすぎ、上下で余白部分の幅が大きく異なっている。
アメリカに住んでいる者にとって、長らくこの紙幣のひどい裁断は日々目にする光景だったのでまったく驚くことではなかったが、100ドルの新紙幣(2013年にデビュー。中央付近に偽造防止の青い線が入っているのが特徴)の流通が増えるにつれ、極端な裁断ズレは見なくなったように思っていたので、今回カジノで受け取った新紙幣には「旧紙幣と同じでぜんぜん直っていないじゃないか!」との思いで落胆した次第。

裁断のズレがひどい旧100ドル紙幣。まだ出回っているが、新紙幣に置き換わりつつある。
自動車や家電品など工業製品においては、日本製の優秀さとは対照的にアメリカ製は仕上げの悪さや不良率などがしばしば指摘されたりしているが、通貨の発行、とりわけ高額紙幣はその国の威信にも関わる最重要な製造物のはず。極限に近い精度で製造されるべきだ。
そんな重要な紙幣において、だれが見ても瞬時にわかるようなひどい裁断ズレは、家電製品の故障などとは異なり「ご愛嬌」で済まされるものではないと思うのだが、流通させてしまっているということは裁断ミスではない、つまり「許容誤差の範囲内の合格品」という扱いなのだろう。
不良品と合格品の線引の基準がどうなっているのか知らないが、数ミリにも及ぶズレを認めてしまっているドル紙幣こそ、アメリカの国民性を如実に表している象徴的な製造物といってよいのではないか。
ではその製造現場における「実用において支障がなければすべて合格品、細かいことは気にしない」という合理的な価値観や現場の意識は良いことなのか悪いことなのか。
日本の製造現場では受け入れがたい悪いことなのだろうが、高い精度や完ぺきを求めることが必ずしも良いことかというと、そうとも思えない。なぜなら合格基準を厳しくしすぎると不合格品が多くなってしまい、製造コスト的に無駄が生じてしまうからだ。
自動車などの場合、精度が低いと故障にもつながりかねないわけだが、紙幣では少々の裁断誤差があっても実際の使用においてなんら困ることはない。
もちろんあまり誤差が大きすぎると ATMなどで紙幣を識別できないといった不都合が生じる可能性もありそうだが、幸いにも裁断誤差が原因でトラブルになったという話を聞いたことがないので、現在の誤差の合格基準は正しい設定といえなくもない。
だとすると日本の紙幣の製造現場(日本銀行の発注により国立印刷局が製造)においても許容誤差を大きく設定することによって製造コストを抑えられる可能性もありそうだ。
「完璧主義の日本人。合理性主義のアメリカ人」などと言われたりするので日本人の大多数は、たとえ製造コストが下がってもドル紙幣のような大きくズレた1万円札など見たくもないだろう。紙幣の場合はそれでもよい。コストを下げて価格競争力を付ける必要などないからだ。
しかし完璧主義が裏目に出ている業界もある。家電業界などがまさにその典型といってよいのではないか。
高度な機能をたくさん盛り込み完成度を高めた結果、価格競争力を失い中国製や韓国製などに負けたりしている。実際にアメリカ市場で日本ブランドの冷蔵庫や洗濯機を見かけることはほぼなくなった。日本企業は、必要最小限の機能でも安ければ売れるという市場を取りこぼしている。
「失われた30年」と言われるなど世界の中で日本経済の地盤沈下が激しいわけだが、その原因の一つに完璧主義があるのではないか。そんなことを考えるきっかけを作っれくれた今回のズレだらけのドル紙幣との遭遇だった。