30年も続けた「ゴミ箱無し社会」の不条理、小池知事の英断に期待

ラスベガスの街角に置かれているゴミ箱。たったこれだけの範囲に4つも見える。

ラスベガスの街角に置かれているゴミ箱。たったこれだけの範囲に4つも見える。

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 東京に滞在している間にラスベガスとは大きくちがう部分に気づいたので、今週はラスベガスとはまったく無関係な話題を日本から発信してみたい。

日米それぞれ良い部分も悪い部分も

 日本にもラスベガスにもそしてアメリカにも、当たり前のことではあるが、良い部分もあれば悪い部分もある。
 国土の広さ、治安、食事、物価、文化など比較すべき要素はたくさんあるのでどちらが良いとは一概にいえないが、つい数日前にロサンゼルス近郊で、そして一昨日もサンフランシスコ郊外で起きてしまった銃乱射事件などのニュースを耳にすると、アメリカの悪い部分ばかりが目立ちすぎ日本のほうが総じて良いように思えたりもする。
 その一方で、被害者の総数が銃犯罪よりも圧倒的に多くなりがちな巨大地震のような自然災害のリスクを考えると日本も良いことばかりとはいえない。

ゴミ箱は空港とサービスエリアだけ?

 総合的にどちらのほうが良い国であるかは人それぞれ意見が分かれるはずなのでそれには触れないこととして、今回はある個別の事案について注目してみたい。それはずばり日本におけるゴミ箱問題に関してだ。
 まだ首都圏しか見ていないので日本全土にいえることかどうかはわからないが、公共の場所にゴミ箱がほとんど存在していない現状には驚くばかり。駅にもバス停にも公園にもない。
 今回の日本滞在中にまともな形態のゴミ箱を目にしたのは空港内と高速道路のサービスエリアくらいだろうか。
 一方、我がラスベガスや一般のアメリカの都市の繁華街では視界に入る範囲内には必ずといってもよいほどゴミ箱が存在している。

ゴミ箱無しは観光客誘致にマイナス

 反対意見があることを承知で言わせてもらうならば、日本の公共の場所にゴミ箱がないのは好ましいことではい。
 その理由はもちろん「不便だから」にちがいはないが、海外からの観光客の誘致といった部分においてもマイナス要因となるはずだ。
 大多数の日本人は現状に慣れてしまっているためか問題意識が少ないようだが、長い海外生活から帰国した友人などの多くも不便に感じているので諸外国からの来訪者も日本各地で困惑しているにちがいない。

地下鉄サリン事件後に消えてしまった

「日本で税金を払っていない一時帰国者が不平を言うな!」との批判もありそうだが、国全体としての利便性やゴミ箱の管理コストなどをトータル的に鑑みれば、どう考えても現在の状況は合理性に欠けているように思える。そもそも30年ほど前までは日本中のどこにでもゴミ箱はあった。
 いろいろ調べてみると、どうやらオウム真理教による地下鉄サリン事件をきっかけに日本中からゴミ箱が消えたようだ。
「ゴミ箱はテロリストなどが危険物を仕掛ける絶好の場所になる」という発想らしい。

一時的な期間限定から恒久化に

 事件の大きさなどを考えるとその心配もわからないでもなく、一時的な期間限定の試みとしてのゴミ箱の撤去は理解できる。
 しかしそれは一時的な対応ではなくそのまま恒久化してしまった。管理する側からすると手間も経費もかからず、そのままにしておいたほうが都合が良いからだろうか。とにかくゴミ箱が復活する兆しが見えてこない。

まだ続く30年前のトラウマ

 管理者側の都合で不便を強いられているとしたら、その現状に利用者側が長期にわたって異議を唱えないのはなんとも不思議でならない。
 サリン事件から30年近くが経過している今でも利用者の脳裏に当時のトラウマが鮮明に残っているのだろうか。だとしたら事件を知らない若い世代から不満が出てもおかしくないが、出ているようには見受けられない。親世代から事件の恐ろしさを刷り込まれているということか。

30年言い続けている「不審物に注意」

 ある日そんなことをあれこれ考えながら都内の交通機関を利用していると、その車内で気になるアナウンスを耳にした。
 それ以降そのアナウンスを気にかけているとその1回だけでなく、さまざまな交通機関で同様なアナウンスがひんぱんに流されていることに気づく。
「車内で不審物を見かけた際は乗務員などにお知らせください」というものだ。

テロリストはゴミ箱など使わない

 電車内での通り魔のような者による殺傷事件放火事件などはときどきニュースで耳にしているが、爆発物や毒ガスなどの危険物による騒動がオウム事件以降一度でもあっただろうか。そしてゴミ箱が使用されたことがあったのだろうか。あったとしても極めてまれなことではないのか。
 そもそもテロ事件を起こそうとする者は電車内に不審物を仕掛けなくても、またゴミ箱などを利用しなくても起こせるし実際に起こしている。
 古い事件として「新宿西口バス放火事件」と称されている昭和の大事件があったが、犯人はバスの車内でガソリンをまいて火を付けただけでゴミ箱などは利用していない。

恐怖心をわざと刷り込んでいる?

 30年に1度あるか無いかのようなことのために、日本中の電車バスの中で毎日不審物に関するアナウンスが脈々と流され続けていることには驚きを禁じえない。
 ひょっとするとその種のアナウンスを流すことで危険物を置かれるリスクという恐怖心を利用者に刷り込み、ゴミ箱を設置しない理由にしたいのだろうか。いくらなんでもそれは考えすぎかもしれないが、そう思いたくもなってしまう。

全車輌に複数の注意書きが!

 先日そんなことを考えながら私鉄に乗っていると、こんどはアナウンスではなく車内にこの写真のような注意書きが掲示されていることに気づいた。

これが各車両に複数存在。ご丁寧に英語でも。外国人が読んだら「日本はそんなにアブナイのか!」と思ってしまうのではないか。

これが各車両に複数存在。ご丁寧に英語でも。外国人が読んだら「日本はそんなにアブナイのか!」と思ってしまうのではないか。

 たまたまその車輌にだけ存在しているのかと思いきや、走行中の車内で数輌間を移動してみたらどの車輌にもあった。
 たぶん10輌すべてに掲示されていると推測できるが、驚くのはまだ早い。なんと各車輌に複数箇所、これでもかというほどたくさん掲示されていた。もはや驚きを超えて何かヒステリックな被害妄想的なものを感じたのである。
 この「不審物を見かけた際は…」との掲示はそれほど重要なのか。それほどひんぱんに危険物が仕掛けられているのか。やはり恐怖心の刷り込みによるゴミ箱設置回避といった打算的な意図を感じずにはいられない。

「心配性」といわれがちな国民性か

 サリン事件の被害者や遺族らにとっては絶対に忘れられない出来事だろうが、鉄道会社側のアナウンスや掲示に良からぬ意図があるかないかはともかく、日本国民の多くがその事件のトラウマを長期にわたって引きずり不便な生活に耐え続けているのはどう考えてもおかしい。
 ひょっとするとトラウマが消えない理由は車内アナウンスや掲示などの影響ではなく、とかく「心配性」といわれがちな日本人の国民性DNAに起因しているのだろうか。

回転ドアと子宮頸がんワクチン

 国民性といえば、めったに発生しない極めてまれな事故、事件、出来事などに対する過剰反応、たとえば回転ドア子宮頸がんワクチンの騒動を思い出す。
 人身事故をきっかけに日本中から回転ドアの多くが消えたり使用中止となったのは多くの日本人が知るところ。
 また因果関係がはっきりしない副反応事故のあと子宮頸がんワクチンの接種者が激減したことも世界中の保健関連機関から批判されているが、回転ドアも子宮頸がんワクチンも日本以外の多くの国では当たり前の存在となっている。

不時着時の救命胴衣は必要か

 話はそれるが、航空機での離陸の際の説明、つまり頭上から降りてくる酸素マスク救命胴衣に関する説明も考えさせられる部分がある。
 その説明は航空会社側が緊急時のリスクや恐怖心をあおる意図ではなく国際的なルールや慣習に従っていることは想像に難くないが、酸素マスクはともかく(これは頻繁に利用されているので必要)、海上などに不時着した際の救命胴衣に関しては事故の頻度と重量増による燃費増などをトータル的に鑑みてそろそろ搭載しないことも検討してみる価値があるような気がしてならない。
 不時着といえば「ハドソン川の事故」が有名だが、そのような事故がどの程度の頻度で発生しているのか。たぶん飛行1千万回に一度も起こってないのではないか。

日本人の道徳観は世界に誇るべきだが

 話はゴミ箱に戻る。サリン事件前まで日本中に存在していたことを考えると、ゴミ箱の復活は物理的にも費用的にもできないことではないはずだ。復活できない理由があるとすれば、復活を望む声が少ないからとしか思えない。
 ではなぜ少ないのか。この問題をいろいろネットなどで調べてみると、「自分が出したゴミは自分で持ち帰るのが当たり前」との意見が多いようだ。
 たしかにそれは正論かもしれないし、実際にゴミ箱がなくてもポイ捨てが少ない日本人の道徳観は世界に誇るべきもので、もし他の国でゴミ箱を撤去したらポイ捨てが激増するのは確実だろう。なのでゴミ箱不要論も日本人の誇りとして尊重はしたい。

ゴミには持ち帰れないものもある

 それでも「自分で持ち帰る」が正論や理想であったとしても現実的にはかなり無理があると言わざるをえない。正確には「かなり無理を強いられている」と言うべきか。
 スウェーデンの若き環境活動家のグレタさんならどんなに無理をしてでも我慢してゴミを持ち帰るのかもしれないが(彼女の活動には賛成しかねる部分も多々ある)、大多数の人にとっては現実的ではないだろう。
 というのもゴミには種類があるからだ。ドリンク類の自動販売機、ファストフード店、歩行者天国やイベント会場での露天商やキッチンカーなどの前にはそれなりのゴミ箱が用意されているのが普通だが、販売されている商品がそこで消費されるとは限らない。
 自動販売機で買った飲み物はもちろんのこと、タピオカドリンク、ハンバーガー、クレープ、焼きソバ、たこ焼きなどを買った現場から一歩も離れずにすべてを飲み切ったり食べ切ったりする者がいるだろうか。
 歩きながら食べたあとソースマヨネーズがべっとり残った焼きソバやたこ焼きのトレイを持ち帰ることはどう考えても現実的ではないが、これを不便と感じないのはどうかと思う。

景気にもGDPにもマイナス要因

 ゴミの捨て場を考えて購入の動機が抑制されることがあるとすれば(絶対にあるはず。つい先日、タピオカドリンクを買うのをあきらめた!)、景気にも影響するし GDPにもよいことではない。
 そもそもゴミを繁華街のゴミ箱に捨てても自宅に持ち帰ってもゴミの総量に大きな変化があるとは思えない。もし大きく減るとしたらそれは外での消費をあきらめたときで明らかにGDPによろしくない。

監視カメラなどの設置で抑止

「公共の場にゴミ箱を設置すると分別することなく家庭ゴミまで捨てる輩が出てくる」という意見もあるようだが、サリン事件以前はなんとかうまく対応していたのではないか。
 ちなみに分別に関しては現在でも多くのホテルにおいて客室内のゴミ箱で行われていない。PETボトルも空き缶も新聞紙も一緒に捨てられている。
 ルールを守らない者に対しては監視カメラなどの設置である程度は抑止できるのではないか。監視カメラの価格は驚くほど安くなっていることを付け加えておきたい。

アメリカでできるのに、なぜできない

 観光都市ラスベガスの観光局などでは世界各地からの訪問者をどうやって増やすか日夜考えている。ゴミ箱の撤去など間違っても提案しないだろう。
 「ゴミ箱を撤去しようものならポイ捨てだらけになってしまう」といった心配などとは関係なく、訪問者に不便を感じさせる施策などまったく眼中にないのである。
 そもそもアメリカのほうが日本よりもどう考えてもテロなどのリスクが高いが、それでもゴミ箱を撤去していない。安全とされる日本でできないはずがない。なぜできないのか理解に苦しむ。

ラスベガスを代表するカジノホテル「シーザーズパレス」の正面玄関。

ラスベガスを代表するカジノホテル「シーザーズパレス」の正面玄関。

トイレの好評がゴミ箱で帳消しに

 日本も全国規模ではなく、まずは東京からでもいい。小池東京都知事の鶴の一声ゴミ箱復活宣言をして欲しいものだ。
 日本のトイレは非常に清潔に管理されているばかりか、さまざまな場所で利用できることが世界でも珍しいようで非常に高く評価されていると聞く。
 その一方でゴミ箱が無い不便さはトイレの好評を帳消しにしてしまいかねないほどの悪評になっているように思える。
 鉄道各社や公園などを管理するローカルな自治体に先立ち東京都が率先して腰を上げてみてはどうか。

広告付きゴミ箱は検討に値

 ゴミ箱を広範囲に設置するとなると当然のことながら費用をどうするかという議論を避けて通れない。理想論だけを掲げて財源などを提案しないのは無責任というもの。
 ゴミ箱の設置や管理費などは鉄道会社にしろ自治体にしろ他の予算を少し削って工面すればなんとかなると思われるが、もし完全に独自に捻出しなければならないとするならば企業などからの広告はどうだろうか。
 たとえば商店街や私鉄沿線の駅の構内などであれば、その地域に密接したスーパーマーケットでも飲食店でも歯科医院などでもいい。
 ゴミ箱に「このゴミ箱は◯◯スーパーの好意によって管理されています」と大きく記載するような方法を取り入れれば賛同を得られるのではないか。成功するかどうかはわからないが検討してみる価値は十分にあるだろう。

アメリカの高速道路も参考になる

 ゴミ箱ではなく清掃の話になるので少々状況は異なるが、アメリカの高速道路のアイデア(Adopt-a-Highway Program)も参考になるかもしれない。
 アメリカの高速道路では、ある一定区間の道路脇や中央分離帯のゴミ拾いなどを企業がボランティア的に引き受け、その代わり「この区間の管理は◯◯社が担当しています」といった形で社名を道路標識のように設置することが認められるという制度がある。

たまたまパソコン内に入っていた写真なので見づらいが、赤い矢印で示された青と白の看板には「この先1マイルを担当するスポンサー」とのことで企業名が記載されている。

たまたまパソコン内に入っていた写真なので見づらいが、赤い矢印で示した青と白の看板に「この先1マイルを担当するスポンサー」として企業名が記載されている。

 日本でも近年アメリカと同様な「アダプト制度」と称するボランティア的な管理がさまざまな場所で採用され始めていると聞くが、たぶんゴミ箱の設置にも効果があるはずだ。
 どの方法がうまくいくかはやってみないとわからないが、まずは「撤去してしまったゴミ箱を戻す」という強い信念のもとで自治体なり企業なりが検討し始めることが何よりも重要だろう。くどいようだが、まずは東京からということで小池知事の英断に期待したい。

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コメント(6件)

  1. NY より:

    街にゴミ箱がない問題は私も長年改善して欲しいと強く思っていることですね。

    最初は本当にテロ対策で、営団地下鉄がゴミ箱を一時使えなくしたのが始まりではないかと
    思いますが、いざゴミ箱を使えなくしてみるとゴミ処理しなくて良いので、コスト削減に
    なることに気づき、今ではテロ対策という名目でゴミ箱の撤去に繋がったのではないかと
    思います。

    私が80年代に住んでいたロンドンでは、アイルランド紛争で、街に爆弾を
    仕掛けたという電話で地下鉄の駅や劇場が爆弾捜索のために一時閉鎖されることが
    よくありました。それでも目抜き通りでは数十メートルおきにゴミ箱がおいてありました。

    そもそも公共の場所にゴミ箱を設置することは、街の景観を美化するだけでなく
    雇用を増やすという意味合いもあるのだと思います。80年代のイギリスは失業率が
    とても高かったと記憶しています。

    現在では、アメリカは約5.3%、イギリスは約4.5&。一方、日本は約2.8%。
    以前として日本の失業率は極めて低いので雇用を増やそうという発想は浮かばないかもしれません。

    私は東京オリンピックがゴミ箱復活のきっかけになるのではないかと思っていました。
    外国では当然にあるゴミ箱がないと、大挙して訪れる外国人が困りますし、処理に困った
    外国人が街に捨てざるを得ませんから。事前にゴミ箱を用意していなかった施設も用意する
    ことになるのではないかと夢見ていましたが、残念ながら外国人はオリンピックに来ないことに
    なったので、私の夢も叶わず。

    そもそも観光客がどこにゴミを持ち帰れというのでしょう。政府はCool Japanとか言って
    外国人観光客を呼び込もうとしていますが、だったら観光客の立場になって物を考えたら
    どうなんでしょう。自分たちが外国に行ったときにはゴミをゴミ箱に捨てることができると
    いうことになぜ気づかないのか不思議でなりません。

  2. なおとし より:

    ゴミ箱の設置・管理コストを削減するために、テロ対策という言い訳は非常に有効なんでしょうね。それを補強するために不審物に注意をうながしているんでしょう。同じように、3年前から駅やデパートなどのトイレのハンドドライヤーが使用中止になっていますが、感染防止効果なんてほとんど無いことが政府から発表されているにもかかわらず、再開されているところはありません。感染対策という大義名分さえあれば、堂々とコストカットできると考えているんでしょう。

    • NY より:

      そもそも洗ってきれいな手なのだから感染拡大する可能性は低いのに、ハンドドライヤーが殆ど復活していないのは、コスト削減ではなくて、万が一感染拡大の原因となったときに自分たちが批判されるのが怖いからではないかと思います。
      危ない橋は渡らないし、石橋を叩いても渡らず引き返すのが、今の日本の現状です。批判されるのが怖くて、どの会社も縮こまっています。その最大の元凶は各テレビ局ではないですかね。視聴率を稼ぐために、なんのポリシーもなくどうでもいいことを声高に批判しています。
      例えば、マスク着用が必須とされていたときは、いつまでマスクをしなくてはいけないんだと批判していたくせに、いざマスク着用が必須ではなくなる動きになると、マスクをしなくても本当に大丈夫なのかと批判を始めることを恥ずかしいと思わないテレビ局には驚かされます。そのテレビ局の批判に乗ってしまう大衆も悪いのですが。

  3. 奥野義輝 より:

    海外旅行が好きです。特に、その国の首都やニューヨークやロサンゼルス、ラスベガスが大好きです。生まれ育った東京も、大好きでした。過去形になってしまうのが、残念です。やはり、街中からゴミ箱が消えてしまい、息苦しさを感じます。ニューヨークや香港の街中にある馬鹿でかいゴミ箱を見ると、ホッとします。

  4. YASO より:

    ゴミ箱が撤去された当時は、ポイ捨てが増えるのか、ゴミ持ち帰りに国民が協力するのか分からず、見切り発車の感があった。結果として、国民は「公共スペースにゴミ箱なし」を受け入れ、有効活用したと思う。このような結果になったのには、日本人の国民性が関係しているかもしれない。ゴミ箱はなくてもよい物ということに気づかされた。道路、駅、公園のゴミはほぼゼロになり、さらにきれいになった。。ゴミ回収など、公共ゴミ回収システムを維持するコストも不要になった。省エネ、環境問題、清潔感、いずれをとっても向上したと思う。

  5. 登川 雄次 より:

    埼玉県春日部市在住です。近場の公園や古利根川の河川敷でボランティアでゴミを拾ってますが、不法投棄やポイ捨てだらけです。ポイ捨てゴミがあっても見て見ぬふりの市民が大多数です。河川をゴミ捨て場と思ってる悪習慣も残っていると思います。河川に捨てられたゴミは川を下って東京湾、太平洋へ流れ出ていると確信してます。溝に捨てられたタバコの吸殻も河川に大量に流れ込んでいます。県や自治体はポイ捨て対策をやらずボランティアにゴミ袋を配るのみではないでしょうか。ゴミ箱があれば何処かしこにポイ捨てせずに少なくともその周辺まではゴミを持って来てくれると感じます!日本人がゴミを持ち帰る国民性と言うのは大きな勘違いの自画自賛んです。実態は他人が捨てたゴミは拾わず見て見ぬふりをする国民性です!何故そうなったか、近くにゴミ箱が無いのも一つの原因ではないでしょうか!

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