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ギャンブルは罪悪か? |
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少なくともここアメリカではギャンブルそのものに対して罪悪という雰囲気はまったくない。罪悪なのは 「ギャンブルにのめり込むこと」 であって、ギャンブル自体は単なるエンターテーメントとしてとらえられている。だからラスベガスでは老若男女がバケーションの一コマとして楽しそうにギャンブルに興じている。
一方日本では、ギャンブルという言葉そのものに何か暗いイメージが付きまとい、金額の大小にかかわらずギャンブルをたしなむこと自体が常に反社会的な行為として見られがちだ。
日本では昔から勤勉に働いて収入を得て、そうして得た金を本当に必要な物にだけ使い、残りは大切に貯蓄する、そのような価値観が美徳とされてきたためか、労せずして大金を得たり無意味に金を失うようなギャンブルに拒絶反応を示す者が少なくない。
日米双方それぞれに異なる文化や価値観があってしかるべきで、アメリカの考え方が常に正しいというつもりは毛頭ない (もちろんアメリカにもギャンブルを否定する者はたくさんいるが)。しかし 「郷に入りては郷に従え」 ではないが、ラスベガスに行った時ぐらいはギャンブルをたしなむぐらいの心のゆとりを持ちたいものである。ましてやここでは合法化されている。勝っても負けてもきっと "良き旅の思い出" となることだろう。
道徳的な価値観からではなく、純然たる経済的な理由からギャンブルを避けている者も少なくない。そういう者が決まって口にする言葉は、「ギャンブルで金を使うぐらいならショッピングでもした方がよい」、「ギャンブルに使う金と時間があるならばオプショナルツアーにでも行った方がよい」 などだ。彼らはギャンブルそのものは否定していないものの、たとえ 5ドルでも 10ドルでもとにかく負けることが絶対にイヤなのである。
このような考えを持つ者に欠如している認識は、ギャンブルで使った金は 「楽しんだことに対して支払った代償である」 という概念だ。
ゴルフでも映画でも食事でも、いくら高い金を出しても 「物」 としてはあとに何も残らない。また 「観光」 そのものもまさにそうだ。それは 「物」 の代わりに 「楽しみ」 や 「思い出」 や 「経験」 を金で買っているからに他ならない。なぜギャンブルに対しても同じように考えることができないのだろうか。逆に言うならば、なぜギャンブルだけがタダで遊ばなければならないのだろうか ということである。
ギャンブルも 「遊びの一部」、そして 「観光の一部」 と考えれば、常識的な範囲の出費をあらかじめ予算に組み込むことは決して日本の価値観に反していないはずである。むしろギャンブルをやっている最中の一喜一憂や興奮は、一般の観光やレジャーの比ではない。そう考えれば一晩遊ばせてもらったカジノに $100や $200を落とすことは、他の遊びのプレー費や入場料と比較しても決して高くはないだろう。
各自それぞれ予算はあるだろうが、せっかく本場のラスベガスに行ったからには常識的な範囲の予算を設定し思う存分楽しみたいものである。それでたまたま運よく勝って多少なりとも財布がふくらめば、それはそれで大いにハッピーなことではないか。
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